将棋とは?ルール、歴史、8大タイトル戦を紹介

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日本の「将棋」は古くから伝わるボードゲームです。実はここ最近、日本では空前の将棋ブームが起こっています。きっかけの1つとして、史上最年少でプロ棋士となり、その後も連勝記録を作り、八冠を達成した藤井聡太さんの影響が大きいと言われています。習い事として将棋を選ぶ小学生も増えてきています。将棋は数手先まで考える力に加えて、相手に敬意を表す日本の伝統文化も学ぶことができる、とその効果が注目されています。今回は将棋の簡単なルールや歴史についてまとめ、さらには将棋にまつわる観光地も紹介します 。

日本の将棋のルール

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将棋は2人で対戦するゲームです。9×9=81マスある将棋盤の上に、お互いに20枚ずつ、計40枚の「駒」を並べて戦います。駒の種類は全部で8種類(歩、香車、桂馬、銀将、金将、飛車、角行、王)あります。ゲームが始まると、自分の持ち駒を、互いに1回ずつ動かしていきます。最終的に相手の一番強い駒である「王」を取ることができれば勝ちとなります。

代表的な駒の動き方

前に1マスだけ進むことができます。

飛車

縦もしくは横のマスにどこまでも進むことができます。

自分の周りは1マスどこでも進むことができます。

このように、それぞれの駒には動ける場所が決まっています。どの駒を攻撃・防御に使うのか、あるいは駒の配置を組み合わせ、王様の周りの防御を堅くする(『囲い』という)など、攻守のバランスを見ながら作戦を考えていきます。

将棋のチェックメイト「王手」とは?

将棋 ルール 歴史 8大タイトル戦 将棋盤 駒 王手

次に相手が何もしなければ、相手の王さまをとれる状態を「王手」と言います。

こちらが「王手」をすれば、相手は逃げるか、邪魔をしてきます。このような駆け引きを繰り返しながら、どのように対応しても王さまが取られる状態に追い込むことを「詰み」と言います。

相手の王を詰ませる練習を繰り返すことが、将棋の上達のポイントとなります。

将棋の最終目標は、相手の王を取ることです。それ以外の駒を何枚取られても、最後に相手の王を取れば勝ちになります。こちらが一方的に攻めていても、王の守りがおろそかであればとあっという間に負けてしまうということも起こりえるのが将棋の面白いところでもあります。

将棋でも大切なマナーや礼儀

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将棋を始めるとき

武道をはじめとする日本の伝統種目の多くは、礼に始まり、礼に終わります。将棋もマナーや礼儀作法を大切にします。将棋の勝負を始めるときは、お互いに「お願いします」と言ってから始めます。

自分の負けを悟ったとき

終盤になり、対局が終わるときには、将棋ならではの作法があります。それは、勝負に負けたと思ったプレーヤーが、自らの負けを悟ったところで、「負けました」と声に出して表現することです。これを「投了」といいます。

対局の間は、1対1の真剣勝負であり、勝っても負けてもすべて自分の責任として返ってきます。

勝負に向き合った結果、自分よりも相手が強かったという事実を認め、次の対局ではもっと良い将棋が打てるようにという思いを込めて「負けました」と声に出すのです。

自分が勝ったとき

一方で、勝った側は、笑顔やガッツポーズで喜びを表すようなことはありません。「ありがとうございました」とだけ発し、しばらく余韻の中で対局を振り返るのです。そのため、プロの公式戦などでも、投了直後の表情や立ち振る舞いだけをみると、一体どちらが勝利したのかわからないくらいです。

将棋の対局は一期一会です。一緒に戦ってくれる相手がいて、はじめて勝負が成り立ちます。

相手と一緒に力を出し合えたことに対しての感謝の気持ちを忘れてはいけません。

これは古来より日本人がずっと大切に守り続けてきた相手へ敬意を表する姿勢なのです。

日本の将棋の歴史

将棋のルーツ「チャトランガ」とは

将棋が日本にいつ伝わってきたのか、どこからやってきたのか、現在のルールを完成させたのは誰なのか、などについては、分かっていない部分が多いです。しかし将棋のルーツは、古代インドの「チャトランガ」にあると言われています。

かつてインドで戦争に明け暮れていた王さまがいました。その王さまに対して、ある僧侶が戦争以外に夢中になれるものを見つけて欲しいと提案したのがチャトランガだったと言われています。

チャトランガはその後、世界中に広がり、これを起源とするゲームは100種類以上あります。ヨーロッパのチェス、中国のシャンチー(象棋)、 タイのマックルックなどいずれもルーツはチャトランガにあり、将棋と同じ流れを汲んでいるそうです。

チャトランガを起源にもつ世界のゲームの中で、将棋にだけに見られる面白いルールがあります。

それは「取った相手の駒を、今度は自分の駒として使用できる」ことです。

その結果、駒の使い方のバリエーションが豊富になり、数手先まで読むことが困難になっていきます。また終盤に近づくにつれて互いの持ち駒が増えるため、攻撃力・防御力が増し、激しい戦いになっていくのです。

将棋はかつて上流階級の娯楽だった

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1993年、奈良県の興福寺というお寺で、日本最古の将棋の駒が発見されました。

おそらく1058年のもの(平安時代)とされています。発見された駒は今の将棋の駒と同じ五角形で、現在と同じ漢字が描かれていました。当時文字が読めたのは天皇や貴族などの上流階級であったため、位の高い人たちの間の娯楽として広まったのだろうと考えられてきました。

江戸時代になり、徳川家康が将棋の愛好家だったことから、将棋指しに俸禄(給料)が与えられました。将棋指しは、徳川家の冠婚葬祭や行事への対応、年に一度将軍(江戸幕府のリーダー)の前で将棋を行うなどの任務が課せられました。家康が俸禄を与えた一人が大橋宗桂(1555~1634)です。そして大橋本家、大橋分家、伊藤家が将棋御三家として幕府御用達となり、その時代に最も将棋がうまい人=「名人」の称号が、世襲によって受け継がれていくことになりました。

将棋が庶民に広まったのは「新聞」がきっかけ

江戸幕府が崩壊し、明治時代になると将棋の人気に陰りが出始めました。

その際、将棋の文化を支えたのが「新聞」でした。朝日新聞が、大橋宗桂 (おおはし・そうけい)の詰め将棋や、棋譜を将棋欄として掲載することで、庶民はクイズ感覚で将棋に接することができました。また、新聞各社が将棋の文化を継承するべく努力を続けたことをきっかけにして、現在にいたるまで8大タイトルが生まれていきました。江戸時代に世襲制だった「名人」の位も、実力勝負によって決まるようになったのです。

将棋の8大タイトル戦とは?

プロ棋士が参加する大会(棋戦)のうち、上位に位置している8つの大会があり、その大会の優勝者に与えられる称号がタイトルです。現在8つのタイトル戦(「竜王戦」、「名人戦」、「王位戦」、「王座戦」、「棋王戦」、「叡王戦」、「王将戦」、「棋聖戦」)があります。

タイトル名主催
開始した年
ルール
2024年現在のタイトル

竜王戦

読売新聞 

1988年 

7番勝負
持ち時間は各8時間

藤井聡太

名人戦 

朝日新聞
毎日新聞 

1935年 

7番勝負
持ち時間は各9時間
現在は名人戦の予選が順位戦とされている

藤井聡太

王位戦 

新聞三社(中日新聞(東京新聞)、北海道新聞、西日本新聞)連合

1960年 

7番勝負
持ち時間は各8時間

藤井聡太

王座戦 

日本経済新聞 

1953年 

5番勝負
持ち時間各5時間

藤井聡太

棋王戦 

特別協賛 

1974年 

5番勝負
持ち時間は各4時間

藤井聡太
叡王戦 
株式会社不二家 
2015年 
7番勝負は持ち時間が1、3、6時間と対局により異なる
伊藤匠

王将戦 

スポーツニッポン
毎日新聞 

1950年

7番勝負
持ち時間は8時間

藤井聡太

棋聖戦 

産経新聞 

1960年 

5番勝負
持ち時間は各4時間

藤井聡太

それぞれの棋戦は、前年度のタイトル保持者と予選を勝ち上がった挑戦者が5番勝負(先に3勝した方が勝ち)もしくは7番勝負(先に4勝した方が勝ち)を行い、多く勝った方がそのタイトルを得ることができます。

8大タイトルの中でも将棋界の最高峰と言われるのが、名人戦と竜王戦です。

中でも名人戦の予選会は、プロ棋士の順位戦となっており、プロ棋士はC級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級の5階級に分かれてリーグ戦を行います。それぞれのリーグの上位数名が昇級し、A級になった10名の中から名人戦の挑戦者を決めていきます。名人になるためにはプロになったあと、C級2組からスタートし、A級に行くまでに少なくとも5年はかかる険しい道のりとなっています。

日本で将棋が有名な場所

山形県天童市

将棋 山形 天童 天童桜まつり人間将棋大会
将棋 山形 天童

山形県天童市は、日本一の将棋駒の生産地として知られています。江戸時代後期に、天童織田藩の吉田大八が、生活の困窮にあえぐ藩士の救済として、駒製造を推奨したことが始まりとされています。天童の将棋駒はその高い品質が評価され、1996年 に国から伝統工芸品に指定されました。天童市は将棋にこだわったまちづくりをすすめています。

毎年4月2週目には、舞鶴山山頂公園にて「天童桜まつり人間将棋大会」が行われます。

よろいや着物を着た人たちが駒武者となり、それをプロ棋士が指揮をして対局を行います。もともとは豊臣秀吉が同様の将棋野試合を行ったという言い伝えもあり、毎年将棋ファン達が観戦に詰めかけます。このほか、駅前の大通りには歩道や電柱に詰め将棋が設置されているほか、郵便ポストやマンホールなど至る所に将棋の駒が施されるなど、街全体が将棋の雰囲気に包まれています。

愛知県瀬戸市

愛知県瀬戸市は、藤井聡太7冠(2024年10月現在)の出身地として知られています。藤井聡太さんは、史上最年少(14歳と2ヶ月)でプロ棋士となり、その後デビュー以来29連勝を達成し連勝記録を塗り替えました。その後、史上最年少(20歳10ヶ月)で名人となり、2023年には史上初の八冠タイトルを制覇するなど数々の記録を打ち立てています。

銀座通り商店街

アーケードは商店街のシャッターに描かれた詰め将棋盤をはじめとして、藤井聡太応援グッズの販売などが有名です。

川村屋賀栄

160年以上続く伝統の和菓子屋さん。名物の「飛車角最中」には白あんが使われていることから、食べて白星として人気です。

瀬戸観光案内所

藤井聡太さん関連グッズを販売しています。瀬戸市は平安時代より焼き物が有名で、陶器の起源とされていることから、日本で生産される焼き物を「瀬戸物」と呼ばれることもあります。こちらの観光案内所では瀬戸物でできた将棋の駒の販売も行われています。

将棋 ルール 歴史 8大タイトル戦 対戦

日本では近年、将棋が盛り上がりを見せています。将棋は、教育への可能性についても評価されており、小学校では将棋を授業に取り入れていこうという動きもあります。対局中は自分自身と静かに向き合いながら、負けたときには素直に負けを認めることができる心の強さや、相手への尊敬と感謝の気持ちを養うことができるとも言われています。

日本を訪れた際には、日本各地の将棋のイベントにも参加してみてはいかがでしょうか。将棋を通して、新たな日本の魅力を知れるに違いありません。

参考文献

  • 『藤井聡太のいる時代』(朝日文庫)
  • 『教養としての将棋』(講談社現代新書)
  • 『将棋400年史』(マイナビ新書)
  • 『将棋の駒はなぜ歩が金になるのか』(少年写真新聞社)
  • 『将棋-SHOGI-』(文溪堂)

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