愛媛県には日本100名城に名を連ねる城が5つあります。うち4城は、現存日本12天守に数えられる松山城と宇和島城、三大水城(*1)の一つ今治城、そして国指定史跡の湯築城です。これら4城と比べると少し地味に見える愛媛県指定史跡の大洲城ですが、実は侮れない見どころがあるのです!
*1:水城とは、海のすぐそばにあり、堀に海水が流れ込んでいる城のこと。今治城は日本を代表する水城の一つとして知られている
築城名人・藤堂高虎の手による作られた大洲城
大洲城がある大洲市は「伊予の小京都」(伊予:愛媛の旧名)とも呼ばれています。愛媛県南西部に位置する内陸側の盆地にあり、清流・肱川が瀬戸内海に繋がるため、古くから交通の要衝として重要視されてきました。
大洲は昔、「港」を意味する「津」を用いて「大津」と呼ばれていた。大洲城は、この昔の地名や、地蔵岳という高台に建てられたこともあって、「大津城」や「地蔵ヶ嶽城」といった別称でも呼ばれます。築城は鎌倉時代末期の1331年、宇都宮豊房によるものとされていますが、その後権力の変遷を経て、1595年藤堂高虎が城主となりました。この築城の名人が入城した後、近世城郭(天守、石垣、堀などの構造を持つ城郭)へと修築され、城下町も相次いで生まれました。現在、私たちが知る大洲城の原型は、藤堂高虎の手によって作られました。
人柱伝説ー大洲城に伝わる悲しい築城ストーリー
大洲城は「大津城」「地蔵ヶ嶽城」のほかに、城の下方を流れる肱川(ひじかわ) (別名「比志川」)から「比志城」という別称もあります。この川の名は、とある悲しい物語に由来すると伝わっています。
宇都宮氏が大洲城を建築していた当時、川に面した高い石垣の建築に何度も失敗していました。そのため、これは悪霊による祟りのせいで、お祓いには人柱を捧げる必要があるとして、人柱を立てることにしたのです。最終的に選ばれたのは「おひじ」と呼ばれる16歳の少女で、彼女は「川に自分の名前を付け、後世の人に永遠に自分を覚えていてほしい」という願いを残して、川に命を捧げました。その後、城壁は無事完成し、少女の願いも叶い、川は「比志川」と名付けられました。
地元市民の寄付で大洲城がよみがえる! 完全に復元された木造の天守
明治維新後、大洲城内の建造物は次々と破却されました。地域住民の努力により本丸天守や櫓はどうにか残されましたが、天守は建物自体の老朽化により破損が進み、1888年の解体は免れませんでした。しかし、かけがえのない大洲城を大切にし、愛してきた地元住民が再集結。多額の寄付を行い、2004年ついに大洲城天守が再建されました。
天守の再建は珍しいことではありません。しかし、大洲城天守が貴重と言われるのは、第二次世界大戦後、最初に復元された4層4階の木造天守であることと、天守を建設した当時の工法でその姿が完全再現されたためです。明治時代に撮られた多くの写真資料に加え、その当時天守建設に携わった職人の家で、天守の構造がわかる木造模型が発見されたことが、復元の手がかりとなりました。こうして、完全復元という奇跡が成し遂げられたのです。
日本初!「城泊」体験
2020年に大洲市と株式会社NOTEなどの提携企業によって「NIPPONIA HOTEL 大洲城下町」が誕生しました。「分散型ホテル」というコンセプトのもと、宿泊スペース、レストラン、イベント施設などが大洲城の城下町に点在し、大洲城周辺や城下町全体が宿となっています。もちろん大洲城もその1つです。
大洲城は日本で初めて「城泊」を打ち出した城で、天守や櫓を含む城を宿泊施設にして、夜は天守閣の中に泊まることができます。大洲城の城泊プラン「大洲城Castle Stay (キャッスルステイ)」は、宿泊者が愛媛県松山空港に到着した瞬間から始まります。空港でのお出迎えに続き、男性は甲冑・女性は着物に着替え、隊を率いて大洲城に入ります。入城の際は、1617年に大洲藩初代藩主・加藤貞泰が入城した時の活況を再現し、武士と家来に扮したスタッフや鉄砲隊の祝砲、鳴り響く法螺貝などで出迎えられます。城主のように宿泊するだけでなく、完全に城主になりきる体験ができます。
肝心な宿泊費用についてですが、2名1泊2日朝・夕食付きの基本プランで100万円以上。年間30組限定、季節限定での受付です。しかし、体験した方からは「このプランで100万円は安すぎる!」という声も。 その真価のほどは、泊まってみればわかりますね。
スポット情報
- 名称:大洲城
- 住所:愛媛県大洲市大洲903
- 営業時間:9:00~17:00 (最終入場16:30)
- 定休日:なし
- 入場料:大人550円 / 中学生以下220円 / 5歳以下無料
- アクセス:JR伊予大洲駅から市内循環バス「ぐるりんおおず」に乗り約10分、下車後徒歩約5分
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