草間彌生が「かぼちゃ」をモチーフにする理由は?作品が見られる美術館も紹介

草間彌生 十和田市現代美術館
画像転載不可:草間彌生 《愛はとこしえ十和田でうたう》2010年 撮影:小山田邦哉 ©YAYOI KUSAMA


草間彌生とは?日本を代表する現代美術のアーティスト

世界を舞台に活躍する日本人アーティストの名を挙げるとき、特に現代アートや前衛美術に詳しい人でなくとも、草間彌生(1929-)の名前を挙げる人は多いことでしょう。トレードマークとも言える、真っ赤なおかっぱ髪と原色に彩られた衣装もさることながら、彼女の作品に度々登場する、水玉で覆われた〈かぼちゃ〉のモチーフは、一度目にすれば忘れることができない強烈なインパクトを観る者へと与えます。2012年 と2023年にはファッション・ブランド、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションも実現するなど、今や世界的な影響力をもつアーティストの一人としても知られる存在です。

今回の記事では、そんな草間彌生の来歴や代表的な作品を、彼女の発言、そして草間作品を鑑賞できる国内の観光スポットとともにご紹介してまいります。

草間彌生の来歴

まずは草間彌生がこれまで歩んだ道のりについて、彼女が自伝(草間彌生『無限の網 草間彌生自伝』新潮社、2002年)に綴った内容をもとに、ご紹介しましょう。草間彌生は1929年3月、長野県松本市に生まれました。彼女の生家は、「百年くらい前から広大な土地で種苗業及び採種場を営んでいた」という旧家でした。

草間彌生の誕生:幻覚・幻聴体験、アメリカでの日々

子ども時代の草間の身に起こった象徴的な出来事は、幻覚・幻聴の体験でした。高等女学校に入学した頃から、「物体のまわりにオーラが見えたり、植物や動物の話す言葉が聞こえたり、といった幻覚や幻聴をしばしば体験する」こととなったと言います。にわかに植物たちが自分に話しかけてきた、という強烈な体験の記憶を、彼女は自伝の中で次のように回顧します。

「幼い頃から、私は採種場へスケッチブックを持ってよく遊びにいった。そこにはスミレ畑が群をなしていて、私はその中でもの思いにふけって座っていた。すると突然、スミレの一つ一つがまるで人間のようにそれぞれの個性をした顔つきをして、私に話しかけてくるではないか。そして、それがどんどん増殖していって、耳が痛くなるほどに語りかけてくる。
人間だけが喋れると思っていたのに、私に言葉をもって交流してきたスミレたちに、まず私は驚いてしまった。その時、私にはスミレの花が人間の顔に見え、それが全部私の方を向いている。私は恐怖で足がガタガタと震えるのをどうすることもできなかった」(草間彌生『無限の網 草間彌生自伝』新潮社、2002年)

草間の身に起きた不思議な出来事は、このスミレの花が語りかけてくるということにとどまりませんでした。人間の言葉で吠えかかってくる自宅の犬と、自分の声が犬声になるという経験。そして暗くなりつつある野道を歩いていた際、山の稜線に見えたという光やいろいろなもの――これらの幻覚体験のうちに見えたものをスケッチブックへと描き、その驚きや恐怖を静めることが「私の絵の原点」であった、と彼女は自伝に記しています。

戦後の1948年には京都市立美術高等学校へと編入した草間彌生でしたが、息のつまるような日々の中でアメリカ行きを志すようになります。1957年にアメリカへと渡った彼女は、やがてニューヨークを拠点とした創作活動を行っていきます。創作活動は絵画作品だけにとどまらず、ソフト・スカルプチュア(柔らかい彫刻)、さらにはボディ・ペインティングを含むパフォーマンス活動にまで広がってゆきました。アメリカでの活動中、ニューヨークの画廊で個展を開催した際には、あのアンディ・ウォーホルも会場に訪れたと言います。

その後1975年に、結果的には日本での生活をつづけることとなりました。

草間彌生の代表的な作品:〈かぼちゃ〉のモチーフ

草間彌生の代名詞とも言えるのが、〈かぼちゃ〉のモチーフにした作品の数々です。絵画作品はもとより、水玉で覆われた〈かぼちゃ〉のオブジェ作品(記事の最後にも改めてご紹介します)は、多くの人が「草間彌生」の名から連想するものでしょう。草間自身、南瓜は「私の人生の伴侶」「南瓜への思いが続く限り、私は南瓜を描き続けます」と語っています。

前述の自伝によれば、草間の〈かぼちゃ〉との出会いは、小学生の頃のことでした。採種場へ遊びにいった際にもぎとった「人頭大のカボチャ」「手触りのいとしさが何とも言えなかった」と草間は回顧します。京都市立美術高等学校に進学した京都時代には、すでにカボチャを描いていたということですが、草間はカボチャから受けた影響について、「太っ腹の飾らぬ容貌」「たくましい精神的力強さ」から「造形的興味を受けた」とも語っています。

草間彌生の名言:作品の価値、芸術家について

草間彌生はいわゆるアート作品だけでなく、小説作品や詩集を発表するなど、文筆業においてもその優れた才能を遺憾なく発揮しています。ここでは、彼女へのインタビューをもとに構成された著作『水玉の履歴書』から、草間彌生による言葉をいくつかご紹介しましょう。

まず取り上げるのは、自身の作家としての価値についての発言です。これまで「自分の生きたいように生きるということ」を実現してきたという草間は、自分の死後、世界に望んでいることを以下のように語っています。

「私は、死んだあともなお、永遠に輝く芸術を望んでやみません。一〇〇年後も二〇〇年後も美術の歴史に大文字で残る作家でありたいと心底願っています。それも日本の美術の歴史ではなく、世界の美術の歴史に残って、できるだけ多くの人に作品を見てもらいたいと思っています。そのためには、やらなければならないことがまだ数えきれないくらいあって、それを思うと一瞬でも惜しく、ありったけの時間を制作のために使っているのです。
肉体は、いつか生命が絶えるという自然界の定めによって死体となります。けれども、私が作った数々の作品は、全世界の人へのメッセージとなって残り、人格をもってひとり歩きを始めます。芸術家にとって本当の勝負はそこからで、そこで作家の価値が決まるのです」(草間彌生『水玉の履歴書』集英社、2013年)

歴史にその名を残す作家でありたいという草間の強い覚悟、そして作品づくりに生涯を捧げる強い思いを感じ取ることができます(ちなみに、この言葉の元となった草間へのインタビューは、今から十年以上前に行われたものです)。ただし、その一方で草間は「芸術家が、社会のなかで特別な存在だと思っていません」とも語っています。同じく『水玉の履歴書』には、特に若い人々へと向けられた次のような言葉があります。

「どんな仕事に就いていようと、その人が今日よりも明日、明日よりも明後日と、自分の生命の輝きに一歩でも近づけたならば、虚飾と愚かさに満ちた社会のなかであっても、それは人間として生まれたことを示す、ひとつの立派な足跡となるのではないでしょうか。
(中略)
自分の進むべき道が決まったら、一心不乱にその道を突き進んでほしい。困難に遭遇しても、途中でやめたり、誰かの反対にめげたりすることなく精進してほしい。私はそういった希望を若い人たちに対しても抱いています」(草間彌生『水玉の履歴書』集英社、2013年)

覚悟をもって世界に挑みつづけた彼女の、深い意味をもつ発言です。今を生きるすべての人に向けられた草間彌生のこの言葉は、私たちに明日、そして未来へと向かう勇気と希望を与えてくれます。

草間彌生作品に触れられる日本の観光スポット

草間彌生 十和田市現代美術館
画像転載不可:草間彌生 《愛はとこしえ十和田でうたう》2010年 撮影:小山田邦哉 ©YAYOI KUSAMA

ここまで、世界的に活躍するアーティスト・草間彌生の来歴を、彼女の作品や発言とともにご紹介してきました。記事の最後に現在、日本国内で草間彌生作品を鑑賞できる観光スポットをご紹介しましょう。現代アートに興味のある方はもちろん、今回の記事を読んで草間彌生作品に興味をもたれた方もぜひ、今後のお出かけの参考にしてみてください。

十和田市現代美術館(青森

十和田市現代美術館の向かいにあるアート広場ではさまざまなパブリックアートが展示されてあり、芝生の一角に草間彌生の作品「愛はとこしえ十和田でうたう」が展示されています。《十和田のハナコちゃん》と題された少女を囲むのは、草間彌生を象徴するかぼちゃをはじめ、キノコや犬たち。自由で純粋な魂を持つ草間彌生自身の化身ともいえる作品が観られます。

直島(香川

島の入り口である宮ノ浦エリアには屋外作品として、内部にも入ることのできる作品《赤かぼちゃ》が展示されています。また、世界的な建築家・安藤忠雄による地中美術館や李禹煥美術館といった施設が建ち並ぶ美術館エリアでは、海に突き出した桟橋の上に水玉を浮かべた黄色の《南瓜》が設置されています。この黄色の《南瓜》は1994年に制作設置されたものでしたが、2021年の台風で破損してしまい、翌年に復元制作がなされています。

松本市美術館(長野

草間彌生 松本市美術館
画像転載不可:草間彌生《幻の華》2002年 松本市美術館蔵 ©YAYOI KUSAMA

草間彌生の故郷である長野県松本市の松本市美術館ではコレクション展として、「草間彌生 魂のおきどころ」と題する特集展示が通年で催されています。この展示は、草間彌生の初期作品から近年を代表するシリーズへと至る軌跡を紹介するスペースとなっています。ファンの方はぜひ、彼女が生まれ育った松本の空気とともに、作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

草間彌生美術館(東京

東京都新宿区にある草間彌生美術館は2017年に開館。彼女自身が設立した美術館です。年2回開催される展覧会で作品のコレクションが公開される貴重なスペースとなっているほか、子ども向けのワークショップや対談イベントも時折開催されています。

<参考文献>

『無限の網: 草間彌生自伝』(新潮社)

『水玉の履歴書』(集英社)

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