複雑に入り組み、乗りこなすことが難しいと言われる東京の鉄道。JR東日本の山手線はその代表格と言えるでしょう。東京の鉄道網の中心にして日本で最も有名な路線です。特に初心者は苦手意識を持つ人もいるかもしれませんが、日本の鉄道はここから始まったと言っても過言ではありません。知れば知るほど愛着が湧く山手線の魅力を紐解きます。
山手線はいつから運行開始?一番古い駅はどこ?
山手線は東京都心部の30駅を結び、全長34.5kmを走る列車は終日に渡って多くの利用客であふれかえっています。その歴史は1872(明治5)年、明治新政府によって新橋~横浜間が開通したことに始まり、1914(大正3)年には東京駅が開業。現在のような環状運転が始まったのは1925(大正14)年のことです。
開業順!山手線駅の一覧
開業順 | 駅名 | 開業年 |
1 | 品川 | 1872(明治5)年10月14日 ※同年6月12日、品川停車場が仮開業 |
2 | 上野 | 1883(明治16)年7月28日 |
3 | 新宿 | 1885(明治18)年3月1日 |
3 | 渋谷 | 1885(明治18)年3月1日 |
4 | 目白 | 1885(明治18)年3月16日 |
4 | 目黒 | 1885(明治18)年3月16日 |
5 | 秋葉原 | 1890(明治23)年11月1日 |
6 | 田端 | 1896(明治29)年4月1日 |
7 | 恵比寿 | 1901(明治34)年2月25日 |
7 | 大崎 | 1901(明治34)年2月25日 |
8 | 巣鴨 | 1903(明治36)年4月1日 |
8 | 大塚 | 1903(明治36)年4月1日 |
8 | 池袋 | 1903(明治36)年4月1日 ※1902(明治35)年5月10日、池袋信号所を開設 |
9 | 日暮里 | 1905(明治38)年4月1日 |
10 | 代々木 | 1906(明治39)年9月23日 |
11 | 原宿 | 1906(明治39)年10月30日 |
12 | 田町 | 1909(明治42)年12月16日 ※1876(明治9)年12月1日、田町仮乗降場を開設 |
12 | 新橋 | 1909(明治42)年12月16日 ※当時は鳥森駅 ※1872年に初代・新橋駅(後の汐留駅)開業 |
12 | 浜松町 | 1909(明治42)年12月16日 |
13 | 有楽町 | 1910(明治43)年6月25日 |
14 | 高田馬場 | 1910(明治43)年9月15日 |
15 | 駒込 | 1910(明治43)年11月15日 |
16 | 五反田 | 1911(明治44)年10月15日 |
17 | 鶯谷 | 1912(明治45)年7月11日 |
18 | 新大久保 | 1914(大正3)年11月15日 |
19 | 東京 | 1914(大正3)年12月20日 |
20 | 神田 | 1919(大正8)年3月1日 |
21 | 御徒町 | 1925(大正14)年11月1日 |
22 | 西日暮里 | 1971(昭和46)年4月20日 |
23 | 高輪ゲートウェイ | 2020(令和2)年3月14日 |
品川駅:山手線の起点(1872年開業)
新橋~横浜間の開通に先駆けて仮開業したのが品川~横浜間です。品川駅はこれに合わせて誕生した、山手線の起点駅にして東京最古の駅。当初は東海道(江戸時代の五街道の一つ)の最初の宿場町である品川宿に建てられるはずでした。
しかし、鉄道など見たことがない住民たちの反対に遭ったため、海の一角を埋め立てて東京湾に囲まれるように建てられました。結局、品川とは違う地に「品川停車場」と名付けられた駅を設置。品川駅が品川区ではなく港区にあるのはこのためです。
その後、1885(明治18)年に日本初の私鉄である日本鉄道品川線(山手線の前身)が開業されることになり、山手線の接続駅を担うように。今の駅舎は1901(明治34)年の改築時、北側の新橋よりに移転したものです。
新宿駅:昔は利用客ゼロの日も
2022(令和4)年、1日あたりの平均乗降者数約270万人が世界最多としてギネス世界記録に認定された駅です。しかし、品川線開通時に開業された当初は1日50人そこそこで、雨の日は利用客がいないこともあったとか。今では考えにくいほど閑散としていました。
と言うのも、本来は甲州街道と青梅街道が交差して賑わう地(現在の新宿三丁目駅付近)に駅舎を設置したかったよう。しかし、品川駅と場合と同様に住民の反対に遭い、予定地から500mほど西側に離れた町外れに追いやられる形で開設。
1889(明治22)年に新宿~立川間に甲武鉄道(現在の中央本線の一部)が開業すると、乗換駅として次第に乗降客が増え、新宿駅の規模も拡大していくことになりました。
池袋駅:計画になかった駅
池袋駅もまた、新宿駅・渋谷駅と並んで乗降者数が非常に多いことで知られています。田端方面から品川線へ向かう日本鉄道豊島線(現在の山手線の一部)の分岐点として誕生しました。しかし、当初は異なる場所に駅を設ける予定だったとか。
まず候補に挙がったのは雑司ヶ谷付近。しかし、田端方面から線路をまっすぐ敷くと、念願叶って移転したばかりの巣鴨監獄に突き当たるため、これを避けるべく雑司ヶ谷駅の新設を断念。代わりにすでに開業していた目白駅と結ぶことになりました。
ところが、目白付近の住民が鉄道建設に反対。さらに目白付近は構内を広げる余裕がなく、線路を敷く用地もないことがわかり、これも断念することに。そこで新たに浮上したのが目白駅の北側にある池袋付近です。このように苦肉の策として池袋駅が造られたのでした。
東京駅:開業時の乗降口は丸の内側だけ
首都・東京の中央駅として、また国家のシンボルである天皇の駅として計画されたのが中央停車場。現在の東京駅です。駅舎は日本建築界の第一人者・辰野金吾のデザインによる赤レンガ造りで、2003(平成15)年には国の重要文化財に指定されています。
そんな駅舎は完成当初、皇居が正面に立つ丸の内側(西側)にしか乗降口がありませんでした。当時の大繁華街である日本橋・銀座方面(東側)などに行くには、駅舎をぐるりと何百メートルも迂回しなければなりません。
この不便さを解消するため、八重洲側(東側)に乗降口が開設したのは1929(昭和4)年。東京駅が開業してから15年後のことです。
意外と知らない山手線の豆知識
山手線について、ふとしたときに感じた素朴な疑問、実はずっと頭に引っかかっていた小さな謎ってありませんか?ここでは知って納得の「山手線トリビア」を紹介します。
1. 路線名の由来
山の手とは低地にある下町に対して、高台にある地域を指します。山手線は起伏の激しい台地を通り抜ける路線。実際、「下町」という商業地である銀座や神田などに対比する地名として、品川線や豊島線の沿線、四ツ谷付近など住宅地を中心とした地域は昔から「山の手」と呼ばれていました。そこで、品川線と豊島線を合わせた路線を山手線と名付けることになったのです。
山手線が「やまて線」とも呼ばれていたのはなぜ?
日本人の中には、山手線を「やまて線」という読み方で聞き慣れている人もいます。それは、終戦直後の1945(昭和20)年に進駐軍がローマ字で「ヤマテ・ループ・ライン」と誤表記してしまったから。正しくは「やまのて線」です。国鉄が「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを始めた際、各線にふりがなを付けて読み方を統一し、1971(昭和46)年に開業時の正式路線名である「やまのて線」に改めて戻されました。
2. 昔の山手線は黄色だった
山手線と言えば、ウグイス色(黄緑色)のイメージを持っている人が多いはず。実は、1950年から1955年初めにかけて、山手線は茶色の電車で親しまれていました。後に言う旧型電車です。1955年頃になると新性能車の101系に置き換わってカナリヤ色(黄色)に。中央本線のオレンジ色の塗装と区別するためだったようです。
その後、駅間距離が短く、急勾配の多い山手線のために開発された、ウグイス色の103系が登場。さらに、シルバーのステンレス車体にウグイス色のラインカラーの帯を配した電車に置き換わりました。
プラットホームからの転落、列車との接触を防ぐためのホームドアが設置されてからは、車体が見えづらくなったことを考慮し、縦に塗装されたウグイス色のラインカラーがモダンなE235系が走っています。
3. 山手線の内回りと外回りの区別方法
山手線は環状線のため、内回り(反時計回り)と外回り(時計回り)の2種類の運行方法があります。これを間違えて乗ってしまうと、「なかなか目的の駅にたどり着かない」なんてことになりかねません。それでは、どのように見分ければよいのでしょうか。
まず確認してほしいのが、プラットホームに流れるアナウンス。内回りは女性の声、外回りは男性が聞こえるはず。2つ目はホームドアのデザイン。内回りはウグイス色のラインカラーの帯が1本、外回りは2本入っています。3つ目は発車メロディ。駅にもよりますが、同じ曲でも内回りと外回りでアレンジが異なることがあるようです。
4. 電光掲示板は他の列車と違う
駅に設置された発車標(電光掲示板)の多くは、列車の行き先、種別などと共に発車時刻が表示されています。しかし、山手線の運転本数は4~5分間隔。そこで2019(令和元)年から発車時刻に代わり、「約○分後」と表示されるようになりました。列車が駅に到着するまでの時間です。スマホや腕時計を確認する必要がなく、とても便利。
5. 実は環状線ではない山手線
一般に山手線とは、上記の駅一覧のように30駅を一周する路線や電車を指しますが、正式には国鉄時代の1972(昭和47)年の改訂により山手線は品川~新宿~田端間の全長20.6kmと制定されています。では他の駅と路線は何かと言えば、東京~田端間は東北本線、東京~品川間は東海道本線が正式な路線名です。
これらが繋がる以前は、中野~東京~品川~上野間で直通運転が行われ、「の」の字運転が行われていたことも。1925(大正14)年に東京~上野間が完成して東北本線と東海道本線が繋がり、品川~新宿~田端~東京~品川間をぐるりと一周する環状線となりました。こうして「山手線」と呼ばれるようになったのです。
6. 山手線は何本走っている?一周どのぐらい時間かかる?
山手線は1本11両編成の列車が30駅を1周約60分かけて結びます。2017(平成29)年時点、ピーク時には2分間隔、日中も3~5分間隔と、日本有数の“ドル箱路線”として運転本数を誇っていましたが、コロナ禍で本数が減少。2022(令和4)年春のダイヤ改正で、平日昼間は3分50秒間隔(1時間あたり16~17本)から5分間隔(1時間あたり12本)に。
しかし、2025(令和7)年春のダイヤ改正で1日10本増便することが発表されました。ピーク時間帯の運行本数は内回りで1時間あたり20本から21本に、外回りは16本から17本に増える予定です。
山手線は奥深い歴史を重ねて、より便利な移動手段となるように進化してきました。複雑に見えるだけで、本当は私たちのことを一番に考えて作られているのです。皆さんが東京の生活、旅をエンジョイするため、山手線をスマートに使いこなせますように!
<参考文献>
・巴川享則、三宅俊彦『タイムスリップ 山手線』(大正出版、2003年、全192ページ)
・鼠入昌史『全国鉄道路線大全2017年』(イカロス出版、2017年、全256ページ)
・Busiest railway station(Guinness World Records)https://www.guinnessworldrecords.jp/world-records/busiest-station
・E235 Yamanote Line(KEN OKUYAMA)https://www.kenokuyamadesign.com/works/jr-east-e235/
・まーるい緑の山手線 内回りが女性で、外回りが男性?(日本経済新聞)2017/5/21 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO16566410Y7A510C1000000/
・山手線の「発車メロディー」で、“企業の存在”を感じられる駅がある理由(ITmedia ビジネスオンライン)2024/3/26 https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2403/26/news024.html
・山手線などの駅のホーム上におけるご案内を充実します!(JR東日本ニュース)2019/10/15 https://www.jreast.co.jp/press/2019/tokyo/20191015_1_to.pdf
・減便した「朝の電車」元の本数なら混雑どうなる?(東洋経済オンライン)2024/9/20 https://toyokeizai.net/articles/-/828598?display=b
・JR東日本、25年春に山手線10本増発 はやぶさも1往復増(日本経済新聞)2024/12/13 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC135FC0T11C24A2000000/
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