日本の「幽霊」とは?有名な怖い話「東海道四谷怪談」や幽霊イベントまとめ


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突然ですが、皆さんはこれまでに「幽霊」を見たことがありますか。実際に見たことがない人でも、日本のテレビドラマや映画などの映像作品に描かれる「幽霊」を見たことがある人はいるかもしれません。

ところで、日本に「幽霊の日」なる記念日があることは、ほとんどの人に知られていないのではないでしょうか。今回の記事では、そんな「幽霊の日」がどのような経緯で定められたのか、その成り立ちを日本の幽霊のただ怖いだけではない、知られざる一面と併せてご紹介しましょう。

日本の「幽霊」とは?代表的な姿

幽霊 イラスト 女性 墓

日本人は「幽霊」といわれると、下記のようなイメージを抱く人が多いです。

  • 白装束の着物を身につけた、ボサボサとした長い髪の女性
  • 着物の裾に足はなく、おでこの上に三角形のパーツがついた同じく白い鉢巻のようなもの(「天冠」と呼ばれるもの)を頭に巻いている
  • 川沿いの柳の木の影、あるいはお寺の敷地に並んだ墓石の裏から、どこからともなく響いてくる笛の音とともに、青い火の玉を連れて現れる
  • 両腕は前に突き出され、手首を下に垂らしながら「うらめしや〜」と囁きかける

日本のステレオタイプな「幽霊」は、このような容姿で描かれます。

「幽霊の日」の成り立ち

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日本の「幽霊の日」は、7月26日に定められています。その成り立ちには、ある「怪談」がこの日と深い関わりをもつとされています。その怪談とは、一体どのようなものなのでしょうか。

なぜ「幽霊の日」は7月26日なのか:『東海道四谷怪談』と幽霊

実は、今からおよそ200年前、1825年のこの日、四代目鶴屋南北による歌舞伎の演目である『東海道四谷怪談』が初演を迎えたとされており、これが由来となって7月26日は「幽霊の日」となりました。というのもこの怪談、「幽霊」が話の鍵を握る物語となっているのです。歌舞伎 on the web「東海道四谷怪談」 からこのお話のあらすじをご紹介しましょう。

東海道四谷怪談のあらすじ

四谷左門には、お岩とお袖という美しいふたりの娘がいました。お岩は同じ家中の民谷伊右衛門の内縁の妻となります。しかしこの伊右衛門、お岩を連れ戻そうとする左門を殺してしまうのです。父親殺しの犯人と知らぬまま、伊右衛門と結婚するお岩。しかし貧乏生活や性格が合わないお岩にうんざりした伊右衛門は、やがてお岩を裏切って隣家の孫娘との縁談を承諾します。お岩がこの家から届けられた毒薬を飲むと、顔が醜く変わり、伊右衛門に裏切られたことを知ります。お岩が無残な死を遂げた後、お岩と見誤った伊右衛門は、隣家からの花嫁を斬り殺してしまいます。すべてを失った伊右衛門は、夜な夜なお岩の亡霊に取りつかれます。悪事を尽くし、逃れていた伊右衛門でしたが、しまいには与茂七(かつてお袖と結ばれていた人物)らによって斬られ、お岩の怨念が晴らされるということになるのです。

都内に現在も残る「四谷怪談」ゆかりの地

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ちなみに現在でも、東京都内には「お岩稲荷」などと呼ばれ、先ほど紹介した登場人物「お岩さん」を祀る寺社がいくつか存在しています。たとえば新宿区左門町には、「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」道を挟んで両側にあることが知られています。このうち、陽運寺の本堂には「お岩様の木像」が安置され、境内に「お岩様ゆかりの井戸」もあります。また、歌舞伎が興行される際には「安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れ」ている、とのことです。この他、中央区新川にも「於岩稲荷田宮神社」が存在しており、こちらの神社は「明治の初め、歌舞伎役者や崇敬者の願いを受けて芝居小屋に近く便の良い」この土地に創建された、とされています。

幽霊に関するイベント:山口県下関市に伝わる「幽霊の絵」

日本 提灯 夜

7月26日「幽霊の日」当日に開催されるイベントの情報は確認できませんでした。しかし、「幽霊」に関連するイベントとして、あるお寺で「幽霊まつり」が開催されている、という情報を入手しました。

この「幽霊まつり」は例年7月17日に、山口県下関市の永福寺で開かれているイベントです。このイベントでは、寺に伝わる「幽霊の絵が年に一度ご開帳」されることになっています。その「幽霊の絵」というのは、「不仲な両親を案じて若死にした娘の亡霊が住職の枕元に両親を諭してほしいと現れたときに住職が描いたもの」と言われる「心やさしい幽霊の絵」です。また、「お堂の前で焚かれる線香の煙にあたると無病息災で過ごせる」とも伝えられています。

怖いだけではない幽霊のお話:子育て幽霊

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ここまでみてきたとおり、同じ「幽霊」話でまとめられるエピソードにも、『東海道四谷怪談』の「お岩さん」のような「亡霊」話ばかりでなく、下関市の寺院に伝わるような「心やさしい幽霊」の登場するお話もあるように、「幽霊」の描かれ方ひとつとっても、そのあり方はさまざまにあることが、お分かりいただけたのではないでしょうか。

ところで、『怪談』の著者としても知られ、明治時代に来日し日本でその生涯を閉じた作家、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が記した「神々の国の首都(The Chief City of the Province of the Gods)」という文章の中には、島根松江市に伝わるこんな幽霊の話が紹介されています。

――松江のある小さな飴屋に、毎晩遅く水飴を買っていく、白い着物を着た顔色の悪い女性がいました。不思議に思った飴屋の主人がある夜、女性の後をつけてみたところ、この女性はどうやら墓地の中へ入っていくようです。その翌晩も飴屋にやってきた女性は、この日は何も買わず、一緒に来てほしい、と手招きするのみでした。墓地まで後をついていくと、女はある墓の前で姿を消しました。突然赤ん坊の泣き声が聞こえ出したその墓を開けてみると、中にはなんと、飴屋に通っていた女の亡骸と、生きている赤ん坊がいたのです。赤ん坊のそばには、水飴の入った小さなお椀がありました。なんと母親の霊は水飴を運び、わが子の面倒を見ていたのです。(引用元:神々の国の首都(The Chief City of the Province of the Gods) )

このエピソードを文章の中で取り上げたハーンは、このエピソードを「愛は死よりも強し(love being stronger than death)」と評しています。わが子のことを思い、その健やかな成長を願う母親の執念は、その死をも貫く。不思議さや恐怖よりも、心温まるエピソードと言えるのではないでしょうか。

このような「子育て幽霊/飴買い幽霊」の話は、ハーンが紹介した松江の話に限らず、同様のエピソードが全国各地に伝わっています。そして実際に、京都市東山区にある「みなとや 幽霊子育飴本舗」では、このような伝承にちなんだ「幽霊子育飴」が現在でも販売されています。観光などで京都を訪れた方は、幽霊の母親に思いを馳せながらこのお店へ足を運んでみるのもよいかもしれません。

おわりに:幽霊よりも気をつけたいこと

日本 廃墟

ここまで、日本の記念日である「幽霊の日」と、この由来となった怪談話、さらには幽霊にまつわるイベントなどの話題をお届けしてきました。

日本では、夏のシーズンになると、墓地や廃墟、あるいは「心霊スポット」と呼ばれる場所へ行く「肝だめし」をする人たちがいます。肝試しに興味がある人もいるかもしれません。ただし、注意してほしいのは、法律や物理的な安全の観点から、足を踏み入れてはいけない場所に行かないということです。私有地に、その土地を所有する人の許可なく勝手に立ち入ることは、罪に問われる行為となります。そればかりではなく、周囲を見通すことのできない暗い場所や狭い場所、長い間人の手入れがなされていないような場所を訪れることは、心霊現象以前の問題として、まず物理的に自分の身を危険に晒す行為です。

怖いもの見たさという気持ちも理解できなくはないところですが、他人に迷惑をかける行為、自分に危険が及ぶ行為は避け、責任にある行動を心がけましょう。

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