現在、世界はインターネットなどを通じ、欲しい情報などいくらでも手に入る世の中となっていますが、それでも時間をかけて実際にその土地まで足を運び、空気や文化に肌でふれ、そして五感で味わうという旅行の醍醐味はそう簡単に失われるものではないでしょう。
数年前に始まったCOVID-19の流行も、日本国内では落ち着きを見せ、いわゆる日本国内の「自粛」ムードも終息へ向かいつつあります。国内各地の観光名所では、感染症の流行前のように、国内外からの観光客で大きな賑わいを見せています。時間的、経済的な余裕さえできれば、またかつてのように日本各地を旅行で周りたい、と思う人もきっと多いことでしょう。今回の記事では、そんな「旅」にまつわる日本の記念日について、その由来とともにご紹介していきます。
日本の「旅の日」制定の経緯:旅と「おくのほそ道」
日本では、旅行にまつわる記念日「旅の日」が5月16日と定められています。まずはこの記念日が制定された経緯と、その由来ともなった、日本の歴史上で最も有名な旅と言っても過言ではない「ある旅」についてご紹介しましょう。
「旅の日」が制定された経緯
この「旅の日」は1988年、「ともすれば忘れがちな旅の心を、そして旅人とは何かという思索をあらためて問いかけること」を目的として、日本旅のペンクラブ という団体によって提唱されました。この団体は、1962年に設立された、「旅の文化の向上をめざすとともに、自然環境保護や地域活性化のため、取材例会、観光振興への提言」などを行う団体で、旅行ジャーナリスト、ライター、WEBライター、編集者、作家、歌人、写真家、画家、ラジオパーソナリティー、弁護士、建築家、大学教授などからなる会員、旅館・民宿・飲食店の主人などからなる会友によって構成されています。
ではなぜ、この「旅の日」は他ならぬ5月16日とされたのでしょうか。――実は1869年のこの日(旧暦3月27日) は、松尾芭蕉が江戸(現在の東京)を発って、かの有名な「おくのほそ道」の旅へ向かった日だったのです。
松尾芭蕉と「おくのほそ道」
この松尾芭蕉 という人物は、江戸時代(1603~1868年)に活躍した俳人です。1644年に現在の三重県伊賀市に生まれた芭蕉は、19歳のときに「俳諧」に出会い、35歳で俳諧の師匠となったとされています。(厳密に言えばこの「俳諧」というカテゴリーは、明治以降に確立した「俳句」と呼ばれているものと異なっているものですが、それらの違いについて、ここでは詳しく立ち入りません)。彼がその生涯に作った句はおよそ1000句とされており、後年、「他に並ぶ者のいない俳人」を指す「俳聖」と呼ばれることとなりました。
そんな芭蕉は、日本国内の諸国を旅して、各地で多くの句を詠んでいます。1689年、芭蕉は弟子を連れ、東北から北陸地方にかけて巡る旅に出ます。この旅を踏まえて書かれた紀行文が『おくのほそ道』で、この中には50の句が掲載されています。
『おくのほそ道』は、次のような書き出しから始まっています――「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり(月日は永遠にとどまることのない旅人であって、やってきては過ぎ去る年もまた旅人である)」 。過ぎゆく時間さえも「旅人」になぞらえるこの芭蕉の独白は、ある種の旅の本質ともいえるものを捉えようとしています。旅の記念日の由来に彼の旅が挙げられたことにも、頷けるような一文ではないでしょうか。
ちなみに江戸に始まり、東北地方、北陸地方などを巡るこの芭蕉の旅は、現在の岐阜県に位置する大垣 でその終わりを迎えることとなります。旅の行程では、栃木県の日光、宮城県の松島、岩手県の平泉など、現在でも観光地として有名な場所に立ち寄っています。平泉では、かつてこの地を治めていた奥州藤原氏の栄華盛衰に思いを馳せ、「夏草や兵どもが夢の跡」 という、多くの日本人が知る有名な句を詠んでいます。
「旅の日」に関連するイベント
この「旅の日」にちなんで、一般向けの方向けイベントはこの記事執筆時点では確認できませんでした。ただし、この日に合わせ「旅の日」を提唱した団体、日本旅のペンクラブの行事があります。
日本旅のペンクラブでは毎年、5月16日の記念日に合わせて「旅の日」の会 を開催しており、「旅の日」川柳大賞の発表と「日本旅のペンクラブ賞」発表ならびに贈呈式 が行われています。
この「旅の日」川柳は、「旅の文化の広範な広がりを求め」、2009年から公募が始まった、まさに「「旅」をテーマにした川柳」です。川柳とは、5文字、7文字、5文字と、17文字を3つに分けてリズムをつけて読む詩のこと。2023年の「第15回「旅の日」川柳 」の募集では、1,702人から4,457句の作品が寄せられ、大賞に「旅の帰路 方言カタコト ついてきた Tabi no kiro / Hougen katakoto / Tsuitekita(意味:旅の帰り道、方言が一緒に付いてきた)」という一句が、優秀賞に「はしゃぐ友 知らない街で 知る素顔Hashagu tomo / Shiranai machi de / Shiru sugao (意味:旅先の知らない街で友達のはしゃぐ素顔を見ることができた)」といった作品が選出されています。
一方「日本旅のペンクラブ賞」は「旅の文化の向上に寄与したと認められる団体、個人、行政機関等に贈呈される」賞で、これまで各地の自治体や地域の観光協会がこの賞を贈られています。
「旅」をめぐる日本の古典文学
ここまで、「旅の日」に関する情報とこの記念日の由来ともなった松尾芭蕉の『おくのほそ道』について見てきました。最後に「旅」を題材にした、日本文学を代表する古典作品を二つご紹介しておきましょう。
まずご紹介するのは、平安時代(794~1185年)の紀貫之の『土佐日記』 です。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり (男性が書くという日記なるものを、女性の私も書いてみようとして書くのである)」の書き出しは、日本の文学好きにはあまりにも有名です。この作品は、地方長官として土佐(現在の高知県)での任期を終えた作者の紀貫之自身が、土佐から当時の都であった平安京(現在の京都府京都市)まで戻ってゆく、その旅の過程をもとに書かれた、とされています。
次にご紹介するのは、江戸時代の人気小説であった十返舎一九の『東海道中膝栗毛』 です。これは主人公の「弥次さん」「喜多さん」の二人組が、江戸(東京)から東海道を西に向かって、現在の三重県伊勢市にある伊勢神宮の参拝を目指す道中を描いた作品です。物語はこの二人が各地で様々な騒動を起こし、あるいは事件に巻き込まれる珍道中となっていますが、この「伊勢詣で」につづく形で続編まで刊行されるなど、江戸時代の人気作品であったようです。
日本旅行、あなたならどこへ行く?
ここまで「旅の日」に関連し、日本の旅にまつわる歴史的な話題をお届けしてきました。日本のゴールデンウイークを過ぎ、梅雨が本格的に始まるまでの季節は、日本国内は過ごしやすい気候がつづいていきます。次に日本旅行を計画するなら、前から気になってはいたけれどなかなか足を運べなかった場所、長い間顔を合わせていなかった知り合いの街などへ向けて、「旅」に出てみるのもよいかもしれません。
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