日本には、全部で47の都道府県があります。
地域によって、街並みやアクティビティ、グルメなどの特徴が異なるように、地元の人々の県民性も様々。このシリーズでは、都道府県ごとの魅力や、ご当地あるあるを紹介し各県のローカル事情を掘り下げていきます。
今回取り上げるのは、三重県。紀伊半島の東側の伊勢志摩の絶景と伊勢神宮などがある三重について一緒に学んでいきましょう!
(H2:日本語30文字程度)
おかげ参りが由来⁉赤福以外も餅だらけの餅スイーツ県!
©伊勢市観光協会
2000年以上の歴史を持ち、「お伊勢さん」「大神宮さん」といった呼び名でも知られる三重県の伊勢神宮。
日本に現存する最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」で最も尊い神とされる天照大御神が祀られており、江戸時代(1600〜1868年)に何度も参拝ブームが起こり、庶民の間では「一生に一度は伊勢参り」という言葉が生まれるほどだったそう。ブームが最大となった1830年「文政のおかげ参り」では、当時の人口の6人中1人が伊勢神宮に参拝したとも言われています。
今と違い、電車や車のない時代、全国各地から伊勢の地を目指すのはかなりの長旅だったため、伊勢への旅人はみんな、道中手早く食べられて腹持ちが良いお餅を好んで食べたそう。
こうした歴史から、桑名から伊勢までの参宮街道沿いには、道中食となる餅菓子がたくさん生まれ、別名「餅街道」と呼ばれるように!
©伊勢市観光協会
三重みやげの定番となっている赤福餅以外にも、二軒茶屋餅、へんば餅、太閤出世餅、御福餅など、現在でも様々なお店で、おいしい餅菓子を楽しむことができます。
中部?東海?近畿?いろんなエリアのいいとこどりが三重県のスタンス
三重県に関して、日本人の間でもよく疑問に上がるのが、「三重はどの地方に属しているのか」です。
これは、中部地方や東海地方に区分される愛知や岐阜、近畿地方や関西地方に区分される京都や滋賀、和歌山、奈良にも隣接しているためで、例えば、天気予報。気象庁などの地域分けでは、三重県は東海地方に区分されています。また、高校野球で三重の高校は東海地区の大会に出場しています。
一方、学校教育の「社会科」の教材では、三重県を近畿地方として扱うことが多いです。この理由は、教科書や地図帳の発行で有名な帝国書院によれば、1903年発行の国定教科書で※7地方区分が用いられ三重県が近畿地方に含まれていたからだそう。また、関西弁に含まれる方言が使われているなど、実際の生活・文化的な面での深い結びつきもあり、帝国書院では教材で三重県を近畿地方の1県として扱っているそうです。
その他、警察庁の地方機関では中部管区警察局の管轄エリアになっており、行政機関にいたっては区分のされ方もバラバラ。
三重県がどの地方に所属するかに関しては、県民内でも意見がかなり異なり、年配の高校野球ファンが「三重は東海地方」といえば、小学生が「近畿地方だと学校で習った。地図帳にも書いてある」と言うそう。また、伊賀市や名張市は大阪への通勤・通学圏にあたり、関西と名古屋両方のTV番組が観られるため、関西に区分されたい派の人が多いとか。。。
ちなみに、この論争が長年行われてきたものだからか、三重県庁の公式HP内「三重県は中部地方?近畿地方?」というページには、「三重県は中部地方にも近畿地方にも属していると考えています。」とページ冒頭で明言されています。
「どちらにも所属する」と明言する理由は、三重が名古屋と大阪のどちらにも近接していて、生活や文化、経済面などで強い関わりを持っており、法令面でも近畿圏整備法における「近畿圏」、中部圏開発整備法における「中部圏」のいずれにも指定されているから、とのこと。
行政が、正式に両方の地域に所属していることを主張するなんてとってもユニークですが、いろんな地域の良いところどりができるのも三重県ならでは。今度、三重県民と話す機会があればぜひ、三重県がどの地域に所属するのか質問してみては??
※北海道地方、東北地方、関東地方、中部地方、近畿地方、中国・四国地方、九州地方に分けるとする地方区分
三大商人の一つ“伊勢商人”の街!愛想の良さは先祖譲り!
(C)伊勢志摩観光コンベンション機構
古くからお伊勢参りで栄えた三重県の伊勢は、商人の街として知られています。大坂商人、※近江商人と並んで三大商人に数えられる「伊勢商人の街」なのです。
伊勢商人とは、江戸時代(1600〜1868年)に江戸、京都に店を持った伊勢国出身の商人のこと。当時、江戸の町には「伊勢屋」を始め、「越後屋」「丹波屋」など、伊勢商人の店が軒を連ねていたようで、その商売上手さは、江戸の町民たちから嫉妬され「伊勢乞食」と陰口をたたかれてしまうほどだったとか。。。
伊勢商人の中で特に勢力を誇ったのが現在は松阪牛で有名な松阪の商人たち。松阪木綿やお茶などの特産品があり、お伊勢参りの人々によって最新情報が入手しやすかったことから、松阪の商人たちはこぞって江戸に店を開きました。江戸時代中期には、50軒もの松阪商人が江戸に出店を構えていたそうです。
(C)伊勢志摩観光コンベンション機構
伊勢参りで全国各地から様々な人々が集まる土地柄、そして伊勢商人を由来とする商人気質から、三重県民は愛想の良さを大切にしているそう。明るく愛想さえよければ、商売もうまくいきやすいですし、伊勢志摩など雄大な海の絶景に囲まれて育ったことを考えると、優しくおおらかな性格に育つのもうなずけますよね。また、生まれ故郷が神様のお膝元なので、嘘をついたり悪いことをすると罰が当たる、と思っており、基本的に「ウソは大嫌い」なので、三重県民とコミュニケーションをとるときは、ジョークやお世辞で下手な嘘をつかないよう注意してください!
※近江国(現在の滋賀県)に店舗などを置き、他国へ行商して歩いた商人の総称
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